母の退院後の準備は着々と進んでいます。 何やら、内容が僕の備忘録みたいになってきました。(笑) さて次は、今迄住んでいた区の高齢者住宅の返却です。 すでに、荷物の整理は済んでいるので、荷物の処分に関して相談しました。 大田区の高齢者住宅管理窓口です。 話は簡単で、手続きは必要書類に記入して窓口へ鍵を返却すればそれで完了。 荷物は、専門業者に頼んで「産業廃棄物」扱いで、一括処分できるという事でした。 母の、90年生きてきた証の品々が何もかも全て、「産業廃棄物」扱いなのです。 そうした家財一式を処分する専門業者があるという事は、それだけ需要があるという事です。 何かやりきれない思いはありますが、確かに、それは分別する必要もなく一番簡単な方法なのです。 業社を紹介してもらって、見積もりを依頼しました。 荷物は先週次のように仕分けました。 新居に持ち込む物。 日常で使っていた外出用の洋服、パジャマ、肌着、タオル、そして枕等。 電動ベッド、布団はレンタルです。 気に入りの食器、ポットや電子レンジなどの電化用品、 特に、寝たきりになってから、ベッドから手の届く範囲にあったものは愛着ある物と判断して持ち込む事にしました。 次に、整理の段階で、「これは残しておこう」と思ったものや、判断に迷ったものは全て僕のマンションの貸倉庫で保管することにしました。 この、決断で多少気持ちが楽になりました。 アルバムや、日記、針箱、裁縫箱、ミシン、手芸の作品、一部手芸の材料等です。 そうそう、あの「 母の小さな世界」も大事に保管します。 そして、処分の対象が、お気に入りだったのにもう着れない洋服や着物。 手芸のために溜め込んだ、端切れや、綺麗に分類されたボタンやファスナーなどの材料。 何より、私生活で自分が関わった全てを記録していたのではないかと思えるほどの、切符、パンフレット、入場券、果ては箸袋やマッチのラベルまで、整然と整理された段ボールの数々。 新居に持ち込めない、多量の愛読書、使い道のない食器、その他処分できずに手元に置いてあった品々です。 月曜に退院が決まりました。 不動産会社から審査が通ったという連絡が来たので、今日契約です。 鍵を受け取り、明日、荷物を搬入して受け入れ準備を整えます。 廃棄する荷物の処分は来週末にしてもらって、もう一度廃棄すべきか確認しようと思っています。 再掲載・・・もう見る事のない、「母の景色」。 WH-WATSON SM COPIC /水彩色鉛筆 以前の記事 →「母の風景」雀の親子に、ちゃんと報告してあげなくてはいけませんね。(笑) にほんブログ村
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大きな石が坂道を転がるように、様々な事柄が一気に進み始めました。 まず、大きな関門。 今度の母に関する様々な決定について、母の親族に了承を得なければなりません。 待ち合わせして説明、電話で説明、皆さんもうお年なので耳も遠く、時間をかけて大声でゆっくり説得して納得してもらいました。 末の叔母には、整理の終わった母の住まいに来てもらって、処分する荷物の確認もしてもらいました。 これで、ひとつ関門を突破です。 次に、不動産会社の審査を得るために必要な、母や保証人である僕の住民票や、各種証明書を取得するために半日かけて役所巡りです。 これで、不動産会社に契約の申込が出来ます。 審査後、電話で本人確認と、意思確認を受けて改めて正式な契約書が取り交わせます。 (審査が通る事を願います。) 母の見舞いの合間をぬって、病院と退院へ向けての段取りを打ち合わせしました。 移転の手段、その時の酸素の手配の相談、退院後注意する事等のレクチャーを受けました。 そして、入居の申込み書類の提出とケアプランの説明を受けるために、現地の介護事務所を妻と訪問。 その時、わがままを言って、今度お世話になる提携病院の先生と常駐の看護士さんに面談ををさせて頂きました。 先生と万が一の時の話も含め、納得いく話が出来て一安心、これで信頼してお願いすることが出来きます。 今日は、区役所に母の住いの退去について相談に行ってきます。 こうして、目まぐるしく毎日が過ぎていきます。 WH-WATSON SM COPIC GRAY 0.1 水彩色鉛筆 思えば、4年前のこの時から母の介護生活が始まったのです。 以前の記事。→ 「待合室」にほんブログ村
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母の今後、続きです。 母の退院先が決まりました。 郊外の普通の賃貸ワンルームマンションです。 小さな流しと、物入れ、バス、トイレ付です。 ただし、そのマンションには、病院から紹介されたケアマネージャーさんの所属する「居宅介護支援事業所」があります。 母は、その会社に介護サービスを依頼し「在宅介護」、つまり介護保険を使ってヘルパーさんの派遣をしてもらうのです。 ワンフロアー、廊下の両側にドアが並び20数名、同じような一人暮らしの老人が入居しています。 老人ホームではないので、入居者が一同に会することはありません。 つまり、感染の心配はないのです。・・・・・(当然です) 契約して、家賃を払って居住し「在宅介護」を受けるというのは、従来の区営の高齢者住宅と変わりないように見えます。 大きな違いは、介護事務所にヘルパーさんが24時間待機していて、いつでも対応してくれるという事。 3食、給食サービスがあり全て食事の支援をしてくれる事。 提携先の病院から定期的に医師の回診があり、看護士は毎日常駐し見回りをしてくれること。 精密検査や容態によっては、提携先の病院が随時受け入れてくれるという事。 つまり、病人ではないが、寝たきり状態の母の対応として考えれば充分だし、介護する僕にとっても良いのではないかと言うのが、病院やコーディネーター、受け入れ先のケアマネさんの意見なのです。 介護の方針を決める上で大事なのは、介護を受ける本人の気持ちを優先する事、決して介護する側の都合で決めない事だと言われます。 でも現状、食堂やリハビリ施設、デイサービス、浴場などの施設のある老人ホームに入居するのは無理なのだと理解していても、今度の選択が本当に母の気持ちに沿っているのか、決断までは随分悩みました。 今週、詳細の打ち合わせをして契約、そして退院、転居という事になります。 土日に気持ちの整理を兼ねて、妻と一緒にもう半年近く主のいない母の住まいの整理をしてきました。 取りあえず、次の住まいに持って行けるものをまとめておこうと思ったのですが、やっているうちに、母はまだ生きているのに遺品整理みたいな状況になってしまいました。 母が、今まで生きてきた証、思い出の品々を本人以外の人間が整理し、持っていくものと、廃棄するものを選別しなければならないのです。いやはや、気持ちが挫けます。・・・・・・こんなにつらいとはおもいませんでした。。 誰にでもいつかはくる、これが介護の現実です。 再掲載 、「母の台所」・・・・・・・・・もうここに母は立つ事はないのですね。 左手の電子ポット以外、全て廃棄です。 めげてばかりではいられません。 今週で全てが決まります。 母の再出発に向けて、明るく、笑いながら、頑張ります。 にほんブログ村
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母の介護について、現況と今後についてです。 時系列で整理します。・・・・・長文注意!! 母は、区立の高齢者住宅で15年近く自立して生活をしてきました。 ところが、5年前に腰骨を圧迫骨折をして「要介護4」の寝たきりになりました。 それまでは適度な距離感で母に接してきたのですが、ここで初めて、ケアマネージャーさんを紹介され、僕の介護生活が始まったのです。 母は多少の不自由はありましたが、週三日ヘルパーさんの訪問介護と週一回のデイサービスで、生活を維持していました。 その後、本人の努力で、一年で要介護2まで回復し、何かにつかまったり歩行器を使えば自力で歩けるところまで回復しました。 その頃、歩行器で病院に通う母の後姿です。・・・再掲載 そんな生活が続いていた、昨年1月、突然アパートのエレベーターで倒れ、救急車で緊急搬送されました。 診断は「肺炎」、2か月半の入院で一気に体力が低下し要介護3に認定され、酸素吸引が必要となって、トイレと食事以外は寝たきりの生活になりました。 今迄の生活は維持したいとの本人の希望もあり、ヘルパーは毎日2回となり、デイサービスも車椅子で行くことになりましたが それなりに、食べたい物は食べ、酸素ボンベ付の車いすで通院、買い物もこなしていました。 この時は、主治医も母のその頑張りや回復ぶりに驚いていたのです。 そんな生活も半年たらず、昨年8月末、脚に浮腫が出て主治医の判断で以前肺炎で入院した病院に検査入院することになりました。 そこで「結核」が発見されました。 10代の頃患った結核が、70年以上年を経て、老いによる体力の低下で再発したのです。 法定伝染病ですから、すぐ郊外の隔離病院に搬送です。 約2か月で、地元の病院に戻りましたがやはり隔離状態が続きました。 それまで多少物忘れやおかしな言動はありましたが、それなりに普通に会話が成り立っていたのです。 ある日、いままで普通に出来ていた会話が、突然出来なくなりました。・・・認知症の始まりです。 前後して、排菌しなくなったという事で一般病棟に移りましたが、明らかに以前とは違いもう寝返りもうてないほど体力も低下していました。 こうした状況は高齢者の長期入院ではよくある事だそうです。 それまで迄は、母の意思を尊重してきましたが、明らかに今迄の生活に戻るのは不可能だとこの時決断しました。 母が余生を心配なく暮らせるように、病院のソーシャルワーカーさんとも相談して、24時間介護体制の整った老人ホームに入居する方向で介護施設コーディネーター(そういう仕事があるのです。)に依頼しました。 候補が出て、具体的に交渉に入ろうとした今年1月「誤嚥性肺炎」で危険な状態に、完治して再び交渉に入ろうとしたら今度は「気胸」を発症、また先延ばしです。 治りかけても、別の病気を発症するリスクが高く、しかも結核が完治するのは今年8月に投薬が全て完了し、医師の完治宣言を待たなくてはなりません。 つまり、それまでに再び体力が著しく低下したら、再発のリスクがあるという事なのです。 しかも、タイミングが悪く、近隣の老人介護施設で入居者に結核が発症し、感染した入居者が死亡、職員にも感染するという事態が発生し、新聞を賑わせました。 それがあったからとは思いたくないのですが、候補の施設は勿論、ホームのような集団で生活する施設は全て受け入れ不可能という事態になってしまいました。・・・・・・・・ふりだしに戻ったのです。 母は今は薬を飲むだけで、一日ただ眠っているだけ、特に病状はなく治療の必要はありません。 それは、病院にとってはもう患者ではないという事、つまりいつまでも入院しているわけには行かないのです。 そして先週、コーディネーターさんから最後の方法が示されました。 現状、他の選択肢はないそうです。 昨日、その施設(?)を見学してきました。 ただ、決定にはしばし心の整理が必要です。 詳しくは、決定後報告します。 にほんブログ村
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昨日の日曜日は、母の90歳の誕生日。 本人の希望で「たい焼き」で、誕生日を祝いました。 昼食後ベッドサイドのテレビで、放送を一緒に見ることにしました。 「楽しみだ、凄いね。」を連呼していたのに、放送が始まったらすぐ寝ちゃいました。(笑) さて、番組では日本の電信柱の地中化が遅れているのは絵描きが描くのが悪い!みたいな事言われて引き合いにされてしまいましたが、実は番組担当者から聞いていて事前に了承済み。 まさに、前回の記事にも書いたように、僕はスケッチャーとして電信柱容認派。 なぜなら電信柱のある風景は、日本の風情のひとつだと思っているからです。 だからそんなに、電信柱全てを目の敵にせず、防災上危険な場所や、美観を優先する場所から地中化していけばいいのではないでしょうか。・・・と、絵描きとしてのコメントもしたかったくらいです。(笑) 閑話休題。 今日、報告する嬉しい出来事はこれ。 僕の描いたピースを模写した、ポーチです。 以前、手造りの「ピースのトートバッグ」をプレゼントしてくれたブロ友さんが、バレンタインにプレゼントしてくれました。 以前の記事→「 ピース・バッグ」現役を退いてから(注1)、バレンタインなんて「よその世界の事」だと思っていたので、やっぱりもらうと嬉しいものです。 注1:現役時代はそれなりに貰っていたぞという事を言っています。 中には、甘いもの制限中の僕のために健康、幸福祈願と銘打ったハート型のおせんべい。 こういう、心遣いは現在プチ鬱状態の僕には何よりの特効薬です。 この可愛いピースをあしらったポーチ、ペンなどの筆記具がちょうど収まるサイズです。 母の件が落ち着いて、また野外スケッチを始めたら、感謝しつつ、大事に使いたいとおもいます。 おまけ・・・「ん。?これは俺か??」と、ピースです。 にほんブログ村
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このブログを本格的に始めてから、5年経過しました。 5年も続けていると、それはそれはいろんな事がありました。 基本は絵ブログなので新作を描き続けなければいけないのですが、新作が全く描けないスランプもたびたび。 特に今回の母の介護問題が起きてからは全くいけません。 ところが、過去でもそういう時に限って、必ずその下がったモチベーションを上げる出来事が起こるのです。 今回も、そうした出来事が起きました。 先週末、ブログ経由でTBSテレビから、番組で僕の絵を使いたいという申し出がありました。 数回のやり取りの後、正式に使用が決定しました。 使われるスケッチは、このスケッチです。 この絵の記事。→「 向島・電柱と電線」4年前、永沢先生の教室で「東京スカイツリー」をテーマにスケッチに行きました。 その時に、提出用の作品とは別におまけに描いたのがこのスケッチ。 ですが、先生からは提出作品よりこのスケッチが褒められて複雑な思いをしたものです。(笑) 番組は14日日曜13時からTBS・東京放送の「噂の!東京マガジン」という情報番組です。 (多分、東京ローカルだと思います。) 電信柱の美観についての特集の中でチョットだけ使われるそうです。・・・・・(担当者談) ちなみに、僕はスケッチャーとしては、「電信柱容認派」です。 番組の担当者が数ある絵ブログの中から、たまたま僕の絵を選んでくれたそうです。 それは凄くモチベーションアップになります。。 そして、そうだ、もっと頑張って絵を描かなければと、決意を新たにしました、・・・・・ってちょっと大袈裟。( 笑) そんな訳で、興味があったら見てやって下さい。 にほんブログ村
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相変わらず、母の介護の件で慌ただしい日が続いています。 そんな気配を察してか、ピースは適度な距離感でおとなしくしていてくれています。 お気に入りの専用ベッドの上で、こんな感じでじっと僕をみつめ、呼ばれるのを待っているのです。 多分、僕に気持ちのゆとりがなく、イライラしたり疲れた感じが、顔や態度に出ているのだと思います。 彼には、関係ないのに・・・都合のいい時だけ、かまって・・・反省です。 今日は、たっぷり散歩してあげようと思います。 母は胸水を抜くためのチューブに繋がれて再び寝たきりになってしまいました。 退院しても再発のリスクが高いという事で、介護施設の受け入れはますます難しくなってしまいました。 8月末の入院から、「一進一退」の繰り返しで、僕もちょっと疲れが溜まってきたようです。 にほんブログ村
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